「古神道の身体秘伝」とFICTION治療院

○本文より:みずからの心のありかたが結果として自分の周囲に現れてくるのである。

 

○本文より:私たちは催眠術にかかっているとは思っていない。しかしながら、環境とか、周囲の言葉、あるいは迷妄によって自分が弱小な葦のような存在であると知らず知らずのうちに信じ込まされている。

 

⇒週末の試合に出たい。でも、足首の骨折によって病院では3週間の固定は必須と診断を受けた。そんな中学生サッカー選手が試合に出るために意識を使って肉体を変化させるという施術を受けるという選択をした。施術そのものは一般的には考えられない非常識なものである。しかし、その選手が考えているのは「試合に出るために自分に何ができるか。」それだけである。常識では不可能とされる期間で身体を変化させるために常識外れな施術を受けるという決断をした。そして、その決断が功を奏し、週末の試合に出場することが出来た。このことは何を選択するかで未来が変わるという典型的な例である。

 

常識的な施術を受ける事で得られるメリット・デメリット。

 

非常識な施術を受ける事で得られるメリット・デメリット。

 

常識的な施術では自分自身の願いは絶対にかなわない。その宣告を受けている。その宣告を受け入れ、「試合に出る」という可能性を自ら閉ざしてしまうというのも一つの選択肢である。ここで大切なのは宣告をしたのは医療従事者といわれる専門家かもしれないが、その宣告を受け入れたのは本人であるという事。選択するのは本人なのだ。

 

非常識な施術ではどうなるかわからない。ただ、その非常識な施術は薬のような副作用は認められておらず、なおかつ以前に似たような症状について何例もの実績を残している。多くの場合、患部に触れないのだから、患部に悪影響が出る事などありえないのだが、常識外れという部分はデメリットといえるかもしれない。周囲の人に話しても理解されないから。

「試合に出る。」という明確な目標を持って、非常識な施術を受ける決断をし、非常識な肉体の変化をした結果、非常識ながらも週末の試合にスタメンで出場する。結果だけ見れば、非常識であることのデメリットはどこにもないように見える。AIが発達した世の中では医療従事者の知識など有難がるような大したものではない。ファーストオピニオン、セカンドオピニオン、サードオピニオン・・・すべての専門家の意見が異なるという事は日常茶飯事に起こり得る。正解など無いのだ。そうであるならば、非常識である事と、常識的である事の間にも大して差はないであろう。目的が「試合に出る。」ことならば。

 

常識か非常識であるかで判断する前に、自分の目的を達成するために頼りにする施術実績がそこにあるのかどうか。そこを見て判断するという事は大切である。「常識的には不可能。」と言われたならば「不可能。」である。実績が無いという事である。「非常識だが前例がある。」と言われたならば可能性を感じないだろうか。

 

その前例が1例、2例ではなく数百例とは言わないまでも、数十例あるのであれば、その前例を不安を持ちながらも肯定して足を運んでみるというのも良いのではないかと思う。

 

自然治癒力の可能性は計り知れない。

 

自分の自然治癒力を信ずるものが集う場所。それがFICTION治療院。