○本文より:自分は誰か?自分の構造はどうか?自分の運命は何か?これらは我々の人生についての最重要問題です。
○本文より:残念ながら、全学問の全知識を合わせても、自分が誰かを知るには全く役に立ちません。ルードヴィッヒ・ヴィトゲンシュタインと言えば、前世紀の西洋最大の哲学者ですが、彼は「一切の科学的問題が解明されたと思っても、人生の最大の問題は依然として未解明のままであろう」、と述べています。
⇒「人間の存在」って不思議過ぎて本当に計り知れません。実際に施術の現場に立ってみて常識外れな事態に日々遭遇するため「常識」というものは人生における自分自身の身の回りの現象のほんの一部を表現したものに過ぎないということが身に染みる今日この頃です。
自分というものには「内側の世界」と「外側の世界」があります。
「常識」は自分の外側の世界の話です。
一方、「自然治癒力」や「意識」は自分の内側の世界です。
人間には個人差というものがあります。
「常識」に個人差の入り込む余地はありません。もう、決まってますから。
「この怪我は常識的に考えて治癒するまでに2か月はかかります。だから2週間後の試合には出られません。まあ、常識的に考えたら仕方ないですから、今回の試合は諦めて下さい。」・・・とってもまともな言葉ですね。どこにもおかしな部分はありません。
納得がいくならそれに合わせればいいと思います。「はい、わかりました。諦めます。」と。
納得がいかないなら聞いてみて下さい。「2週間後の試合に出られる方法は無いのですか?」と。
「常識的にはありません。諦めて下さい。」と返事が返ってくるでしょう。これも、まともな言葉です。
諦めきれなければもう少し聞いてみて下さい。「似たような怪我で、2週間後の試合に出られたような前例は一つもないのですか?」と。
「当然です。あなたの諦めきれない氣持ちはわかりますが、それが無いから、諦めて下さいと言っているのです。だから『常識』と言っているんです。」と返事が返ってくるでしょう。
これだけ言われたらさすがに多くの人は諦めます。その選択もやむを得ないでしょう。それが常識ですから。もう、決まっているのです。
・・・さあ、ここからあきらめの悪い人はどうするか?
もう、わかりますね。
「非常識な方法でもいいから、2週間後の試合に間に合う方法は無いのだろうか?」と考え始めます。
そして、たまたま「そんな前例が2,3例ならありますよ。」という医療機関に巡り合う可能性があります。
「諦めの悪さ」っていいですね。医療に関しては諦めのいい人よりも広い世界を知ることが出来るから。
世界には常識もあれば、非常識もある。どちらもあわせて世界が成り立っています。
常識の世界だけで納得がいくならそれはそれでいいでしょう。
個人差の一切考慮されない、あらかじめ決まった答えのある「常識」の世界で納得がいくなら。
さて、非常識の世界はなぜ常識から外れているのでしょうか?
答えはとてもシンプルですよ。
個人差を考慮するからです。
常識には収まらない能力があるのではないか?それを引き出すにはどうしたらいいのか?
こんな事を非常識な世界では当たり前のように考え続けている施術者がいるのです。
考え続けていると人間には何が起こるか?
必ず何らかの答えを発見します。
答えを出すには「やってみる。」しか、方法はありません。常識のように、あらかじめ決まったものなど何もありませんから。
やってみると何が起こるでしょうか?
簡単ですね。「答え」が出ます。
「出来た・出来なかった」がハッキリします。
「2週間後に試合に出られた・出られなかった」がハッキリします。
「その程度の怪我なら2~3人なら、試合に出た選手がいますよ。」こんな答えを持った人に出合った時、
本当に諦めきれないなら、この言葉を信じてみるしかないでしょうね。常識的には無理なのですから。
常識という答えに安住して日々を送っていると何が起こるでしょうか?
新たな答えにたどり着くことなく、ただ単に月日が流れていくのです。ここに専門家としての価値がありますか。
考えて、答えを出す。それを毎日行っている施術所。その名はFICTION治療院。
